第2章 お寺と仏教
そもそもお寺とは何をする所?? お葬式をやる所、仏像がある所、観光名所・・・
まぁ、一般的にお寺へ行く用事は葬式・法要・墓参りだけだろう・・・。
葬式と言っても、今はセレモニーホールが主流だから、納骨や四十九日法要と墓参りだな・・。
不思議なもので、キリスト教だろうと、他の宗教だろうと、死んだら仏教のお寺に納骨されると言うおかしな話し・・。仏教以外の宗教だろうと死んだら戒名が付けられると言う何でもあり状態。
そして、一番大切である、仏教を広めると言う布教活動を行わないのが仏教の最大の汚点。
仏教を広めよう、仏教をもっとみんなに知ってもらおうなんて事はサラサラ考えない・・・。
かつて日本では宗教統一の為に、お寺を今の市役所みたいな感じにして、近くに住む住民に住民票の様な物を提出させて管理していた・・。
それが、檀家制度であり、その流れが今に残っている。。
勝手に檀家にさせられた庶民に対し、勝手に檀家が集まったお寺・・・
こんなラッキーな話しが何もしないお寺の始まりではないだろうか??
自分の足で歩き回り、自分の会社で扱う商品をアピールして、やっと顧客を掴んでる現代の営業マン達なら、このラッキーさは理解できるだろう!!
勝手に顧客が集まってくるんだからね!!
その上に、お寺の本堂やら仏像が壊れたり、傷みが酷くなって修復する時には、お布施と称してお金を集め、綺麗に直して行くのだから、本当にお寺はラッキーな所だよ・・・。
お寺に行って仏教を学び、命を救われたとかがあれば、有難うと感謝の気持ちを込めてお布施するとか、こんな良い坊主の居るお寺だから、このお寺を修復する価値があるなど、自分にもメリットが無いのにお布施なんか出来ないと考えるのが普通・・。
先祖代々のお墓を守ってくれてるから・・と年配の方はお寺に対して前向きだけど、その世代の人達が居なくなった時、今の若い世代の人々がお布施などするのだろうか???
こう言う事態が予測できるからこそ、色々なメディアが「寺院崩壊」を言い始めたのだろう。
一番大きな問題は、お寺から仏教が無くなった!であろう。。
お寺から仏教がなくなったと言う関連の書籍も多数売られている・・。
お寺から仏教が無くなったとはどう言う事か・
元々、仏教は生きてる人の為にあり、生きる為に必要な仏教を教えるのがお寺である。
一番不思議に感じてる事があって、なぜお葬式で亡くなった人に「般若心経」を唱えるのかをずっと疑問に感じてる・・・。般若心経は生きる為の知恵が書かれているのに、どうして生きる事が終わった人に唱えるのか??
多くのお坊さんに聞いてみたけど、誰も答えてくれていない・・
生きる知恵を悟った仏教・・・ こんな素晴らしい物があるのに人々に伝えようとしないお寺は果たして必要なのか??
どうして、生きる人と向き合わず、死んだ人ばかりに向き合うのか??
お寺から仏教が消えた・・ その答えは坊主が仏教を説かなくなったからであろう・・
そして、今後も生きる人に向き合おうとしなければ、確実にお寺は崩壊するだろう・・
小結寺は生きる人の為のお力になるお寺です・・。